過去記事の再アップです。
先日、工業英検1級の方の ↓ の記事にコメントしました。
http://bridge2005.blog.so-net.ne.jp/2008-05-15
話題は、
「英文和訳で迷ったら、わからなくなったら、英英を引こう。」
というもので、
僕もそれに賛成したのです。
ところが、
その記事の中に、
「ネイティブから『その表現は間違っている。』という指摘を受けた。」という話もあり、
他の方から「そんなはずない。」とのコメント。
僕も同感だったので、
英英を引いた上で、
「間違ってなんかいませんよ。」
と再コメントしました。
「ネイティブだから、その見解が正しい。」
って訳じゃないんです。
どうしても、
その人の主観が入る。
極端な言い方をすれば「ウソ」なんです。
日本語だってそうでしょう?
「私は」と「私が」の違いって説明できますか?
日本語ネイティブである私達は、
自然に何となく使い分けているけれど、
その違いを説明しようとすると上手くできません。
「私はできる。」って方、
では、これはどうですか?
象は鼻が長い。
これは国語学者の中で未だに統一見解が得られず、
今なお論争の種となっている文なんだそうです。
- 作者: 三上 章
- 出版社/メーカー: くろしお出版
- 発売日: 1960/10/30
- メディア: 単行本
この ↓ サイトを見てください。
ある英語学習用教材の例文に、3人の英語ネイティブがコメントしているのですが、それが三者三様なんです。
中学生レベルの英文でさえ、ネイティブの中で意見が割れています。
http://www.allinone-english.com/restart/Advanced_Q&A.html
言葉って、説明しようと理論付けし出すと、必ずどこかで矛盾が出ます。
だから、文法書は「基本的にはこう。ただし、こういう場合は、・・・」という説明になる。
ところが、その「基本的」な部分にさえ、人によって解釈が違うことがある。
文法書が「ウソ」なのか、その人が「ウソ」なのか、はたまた、辞書が「ウソ」なのか・・・。
言葉って難しい。
翻訳はなおさら難しい。
だから、「翻訳はウソをつく」という真実を鋭く突く言葉があるんです。
翻訳はウソをつく
- 作者: 別宮 貞徳
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1991/11
- メディア: ハードカバー
そして僕はこう言うのです。
「ネイティブだってウソをつく。」
コチラでも英語のプロが激論しています。(僕も。)
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-10-04-1