「現場」って一体...救急車か病院か [原発事故の裏の世界]
労働環境ブログトーナメント
優勝しました!
救急科専門医の独り言
「非番の救急救命士」事件に関する記事にコメントした「救急救命士さかたさん」への
Hirosukeコメント Kimさんコメント→http://kekimura.blog.so-net.ne.jp/2011-06-06
↓
さかたさん。
私は医療関係者ではありませんが、
横から一言すみません。
某ドラマでの有名なセリフ。
「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ。」
確かにそうです。
しかし、あの会議室に詰めている連中にとっては、
会議室が「現場」なのです。
複数の人間から刻々と報告される、しかし、
全てではない限られた(もしくは表現が矛盾する)情報から、
あらゆる可能性を考慮して、最悪の事態を想定しつつ、
最善の処置を判断・指示しなければならないという「現場」です。
別に会議室のお偉いさんを擁護する気持ちは全くありません。
ただ、今回の件に限らず、
事故の起きた場所は当然「現場」ですが、
搬送先の病院も常に「現場」なのです。
患者の家族にとっては、
どこに移されようと、
その患者のいる場所が「現場」です。
それぞれの当事者が、
それぞれの「現場」を抱えています。
その現場なりの制約・障壁、権利・義務が必ず存在します。
おそらくは、どの当事者も、
「ウチの現場を見ろ!」
と考えています。
「現場を見ろ!」という叫びは、
一般企業でも日々起きています。
大企業では、
緊急の仕事が詰まっているにも関わらず、
上から降ってきた意味不明の指示に従わざるを得ない時が頻繁にあります。
医療とは違い、
即座に人命に関わらない一般企業や政治の世界では、
上の連中は、それこそ現場意識が欠如しています。
原発処理、被災地支援、退陣論・・・言うまでもありません。
では、現場の考える事は常に正しいのか。
同じ現場を見ていながら、
考えの異なる人が必ず発生します。
その差は、知識・経験・能力の差と考えられます。
大所高所から周辺や先を見て物事を考えているか否かで、
導き出される結論が異なってきます。
その結論は、多くの場合、
大多数に納得されません。
彼らには隠れている真の問題点が見えていないからです。
大所高所から周辺や先を見て物事を考えられる人材は限られているからです。
さかたさんは残念ながら感情論に走っているように見受けられます。
侮辱的で不適切な表現が散見されます。
もう一度、考えや表現を整理なさってから、
冷静に投稿されることをお勧めします。
おめでとうございます!
秘密のグループのみんな待っていますよ!
新しいアカウントを作ってはいかがでしょうか?
by Kim (2011-11-28 19:28)