8.15◆祖父の戦争を僕は何も知らない(1) [太平洋戦争の遺族として]
初アップ2009-08-15以来、毎年、少しずつ加筆。
去年2018.8.15(水) 新発見の資料を基に過去記事を大改訂。
2020コロナ禍もあり調査難航中。
続編【2】アップには更に時間が必要です。
去年2018.8.15(水) 新発見の資料を基に過去記事を大改訂。
2019.8.15(木)
この1年間の調査成果をフェイスブックにて整理スタート。
最初に靖国神社へ調査依頼したら逆に謎が深まり、、、
この1年間の調査成果をフェイスブックにて整理スタート。
最初に靖国神社へ調査依頼したら逆に謎が深まり、、、
靖国神社の提案は「旧海軍の遺品を管理する厚生労働省」。
調査依頼すると「膨大な書類と時間が必要」との返答で、、、
その後、靖国近隣の資料館で有力なヒントを得るも、、、
その後、靖国近隣の資料館で有力なヒントを得るも、、、
2020コロナ禍もあり調査難航中。
尖閣諸島・沖縄 等 ブログトーナメント
8月15日は「【終】戦の日」か「【敗】戦の日」か。
信じられない僕は父を問い詰めた。
優勝
8月15日は「【終】戦の日」か「【敗】戦の日」か。
かなり激しい論争がある、と随分と昔に知った。
なぜ、そんな論争をしているのか。
そんな事、どっちだって、いいじゃないか。
もっと大切な事があるだろう。
人を殺すために出征したまま帰らぬ人となった父方の祖父。
それを知ったのは初めて父方の実家を訪れた小3の冬だった。
「なんでオバアちゃんしかいないの?オジイちゃん、どこ?」
「オジイちゃんはね、戦艦大和に乗っちょってたけん。」
全国方言談話データベース
日本のふるさとことば集成〈第15巻〉
広島・山口 (国立国語研究所資料集)
- 作者:
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 2004/06
- メディア: 単行本
初めて会う祖母が遺影を指差しながら聞き慣れぬ言葉で教えてくれた。その誇らし気な顔が、なぜか幼心に気になった。バアチャンは翌日だかに、こうも言った。
「あの山の向こうに【ピカ】も見えたけん。」
その数年後に知る【戦艦大和】【ピカ】の正体。
再放送を繰り返し見る内に募る疑問。
この僕が【戦艦大和】の末裔?僕「戦争って若い人が行くんでしょ?子孫いないでしょ?」
父「もう周囲に若い男がいなかった。」
父は男ばかり3人の次男坊。父自身、当時から父親の記憶が殆どなかった。まだ山陽新幹線が通ってなく遠かったからか父が家出したからか山口県とは断絶が続いていた。
父は男ばかり3人の次男坊。父自身、当時から父親の記憶が殆どなかった。まだ山陽新幹線が通ってなく遠かったからか父が家出したからか山口県とは断絶が続いていた。
祖父が【戦艦大和】乗員だとの物的証拠は皆無。写真すら何も手元にない。祖母と父の言葉だけが証拠だった。
ずっと物的証拠がない事に悩み続けた。だから僕は小中高と過ごす中で誰にも言わなかった。「誰も信じちゃくれないだろう。証拠を見せろ、と言われるに決まってる。バカにされイジメられる。」せっかく仲良くなれた友人を失いたくなかった。父が転勤族で小学校は3つ目だった。
何より僕自身が最も疑っていたのだから。しかし父は戦争が大嫌いで戦争の話はタブー。だから僕は疑いながら40数年も信じていた。
2010年7月28日 午後1時39分、父が亡くなった。しばらく後、父の遺品から戦争遺族会の資料を発見。初めて祖父の名と顔を知った。映画でしか見た事ない◆海軍帽◆。祖父のは黒帽で【...国帝本日大】との白文字が見える。ジイチャンは本当に【戦艦大和】だったんだ。これが長年の夢だった物的証拠なんだ、と安心した。
遺族会の資料発見当時、僕は重度のウツで寝たきり。初入院も経験した。マンガさえ苦痛で文字を追えない日々。発見した遺品資料も写真だけ見て、そのまま数年も放置していた。
ここ数年で僕は身体的には完全に回復。アレコレ色んな活動が出来るようになった。そして今年2018年7月。思い立って遺品資料の日付調査を開始。
しかし、、、(以下、続編へ。)
勝とうが負けようが、戦争は戦争。
日本は敗戦国。
敗戦は結果。
そりゃあ原爆は余りにも酷い。
原爆を投下するまで
日本を降伏させるな
――トルーマンとバーンズの陰謀
- 作者: 鳥居 民
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2005/06/01
- メディア: 単行本
しかし、先に手を出したのは?
被害者意識で夏ばかり騒ぐのは偏った見方だ。
日本とアメリカ・・・どちらも被害者なのだ。
先に奪った側が奪った事を忘れていて良いのか。
奪われた事だけ騒いでいて良いのか。
戦争は何も生み出さない。
奪うだけ。
失うだけ。
望まないのに、人が人を殺しに行った。
望まないのに、人が人に殺されに行った。
望まないのに、人が自ら死を選んで自害した。
8月15日に、日本は戦争に負けた。
8月15日に、日本の戦争は終わった。
8月15日を境に、狂っていた日本が変わった。
「終戦の日」か「敗戦の日」か。
そんな事、どっちだって、いいじゃないか。
どっちも本当だ。
どっちも真実だ。
勝とうが負けようが、戦争は戦争。
「勝った」か「負けた」かの問題ではない。
「終戦」か「敗戦」かで論争している場合じゃない。
もっと大切な事があるだろう。
二度と過ちを犯してはならないのだ。
一人一人、この気持ちを胸にして、大切に守って受け継いでいこう。
被害者意識で夏ばかり騒ぐのは偏った見方だ。
日本とアメリカ・・・どちらも被害者なのだ。
先に奪った側が奪った事を忘れていて良いのか。
奪われた事だけ騒いでいて良いのか。
戦争は何も生み出さない。
奪うだけ。
失うだけ。
望まないのに、人が人を殺しに行った。
望まないのに、人が人に殺されに行った。
望まないのに、人が自ら死を選んで自害した。
8月15日に、日本は戦争に負けた。
8月15日に、日本の戦争は終わった。
8月15日を境に、狂っていた日本が変わった。
「終戦の日」か「敗戦の日」か。
そんな事、どっちだって、いいじゃないか。
どっちも本当だ。
どっちも真実だ。
勝とうが負けようが、戦争は戦争。
「勝った」か「負けた」かの問題ではない。
「終戦」か「敗戦」かで論争している場合じゃない。
もっと大切な事があるだろう。
二度と過ちを犯してはならないのだ。
一人一人、この気持ちを胸にして、大切に守って受け継いでいこう。
8月15日についてはいろいろな見方考え方があっていい。
敗戦記念日、終戦記念日、お互いに主張を譲らない。
どちらでもいいと、あっさり切り捨てるのは斬新な切り口だ。
不安定雇用が増え、先の見えない世の中。
とくに若い人につらい世の中になってきた。
自暴自棄の人が増えていけば、戦争でも起きればいいと思う人が増える。
戦争で何もかもリセットしたいと望む人が増える。
集団的無意識というものがあるのかないのかわからないが、若い人たちが希望のもてる日本になってほしい。
なってほしいと願うだけではだめなのだろうな。
そのためにあなたは何をする?
私に何ができる?
年に一度、8月15日にはあらためて考えてみよう。
いまもどこかで戦争が起きている。
事実として戦争はなくならない。
なぜだろう。
人間の本性に根ざす何かが人間を戦争に駆り立てている。
そうとしか考えようがない。
わたしに何ができる?
あなたはなにができる?
by ebisu (2009-08-16 01:07)
ebisu さん、いつもありがとうございます。
一時期、広島と長崎の原爆協が激しく対立していた時期がありました。
当事者にしか分からない事なのかも知れませんが、平和を願う者同士が対立・論争・紛糾するのは、外から見ると「異常」です。
>わたしに何ができる?
>あなたはなにができる?
そこですよね、大切なのは。
戦争は、実の所、まだ終わっていないのですから。
by Hirosuke (2009-08-16 07:48)
私も戦争はまだ終わっていないと思います。
私の母方の祖父はソ連の捕虜として7年間をシベリアで齟齬しました。”次の日、目が覚めると仲間が死んでいる”“人のする事じゃないよ”子供心に忘れられない言葉が幾つもあります。
一昨年から、ジャンルを広げようと思って、何となく読み始めた太平洋戦争関係の本を読んでいますが、答えと言うか、何が?何故か?どうしたら?・・・分らないことが増えてしまっている気がしますが、かろうじて確かに感じるのは「戦争をしてはいけない」「核は持ってはいけない」「全ての命は人間のもの」と言うことです。
語れる人が減っていく戦争について、もっと広く多く伝えて欲しいという気持ちが募ります。
by ゆっち (2009-08-17 22:35)
ゆっち さん
戦争は、集団で狂気に走った凶器です。
死にたくないのに、死にに行く。
死ぬと分かっていながら、死にに行く。
周りの皆が「お国の為に」と死んでいく。
自害できない者は情け容赦なく殺される。
何故なのか?
僕も全く分かりません。
by Hirosuke (2009-08-18 23:43)
日付を見てびっくりです。冒頭の投稿をしてから10年がたってしまったのですね。はやいね。
昨年は尿管結石、そして今年、先月末に白内障の手術をしました。目がよく見えます。眼鏡使用だと左右とも視力1.5です。
現代医療の恩恵を受けています。
13年前のスキルス胃癌の手術は遠い昔の話です。
ほどほどの健康を維持しています。
Hirosukeさんも、健康でありますように。
by ebisu (2019-08-21 10:42)