トリセツって一体・・・③ [技術英語の実務@世界のF社&H社]
「取説」は現場・現地の人が使う物。
モノを目にして使う物。
「モノ・絵・言葉の三位一体」で機能する物。
取説は設計者の資料ではない。
図面とニラメッコしながら使うモノではない。
そんな作り方では、実際に使用する人に正しく機能するわけがない。
取説は製品の一部である。
製品の変化・進化に伴い、取説も変化・進化しなければならない。
そして、取説自体も製品である。
製品とは、お客様の声や技術革新に伴い、常に変化・改善・進化するべきもの。
製品は部品で出来ている。
どんな部品にも公差がある。
設計には公差を吸収する『遊び』が必要。
『遊び』あってこそ、製品の組み立てが可能になる。
取説はどうか。
「文字」という部品をアッシーして「単語」ができる。
「単語」という部品をアッシーして「語句」ができる。
「語句」という部品をアッシーして「単文」ができる。
「単文」という部品をアッシーして「重文」「複文」ができる。
「単文」「複文」という部品をアッシーして「文章」ができる。
「文法」という「図面」に則って、「文字」という小部品は、最終的に「文章」という大部品へと組み上がる。
しかし、「取説」の部品は言葉だけではない。
「図記号」「アイコン」「イラスト」「矢印」・・・他にも色んな「部品」が存在する。
こんなに多くの部品を組み上げて、「取説」という「製品」は出来上がる。
部品には、大なり小なり、必ず「公差」が存在する。
「公差」ある故、設計するには「遊び」が必要。
「公差」「遊び」を考慮せずに、「精密・正確」に設計すれば、それは組み立て不可能な欠陥品。
「遊び」という「不正確」があってこそ、部品は初めて製品という形へと組み上がる。
取説も然り。
数多くの部品を縦横無尽に組み合わせ、ありとあらゆる方法を駆使しなければ、「個性」ある「不正確」な部品の集合体(=製品)を説明することはできない。
取説にも「公差」を考慮した「遊び」が必要なのだ。
「遊び」なくして、工業製品は存在し得ないじゃないか。
設計者が一番よく分かっているだろう?
取説も数多くの部品から成り立つ工業製品なのだ。
故に、「遊び」なくしては取説も存在し得ない。
そういうものだ、「取説」ってヤツは。
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